【冬季休業のお知らせ】
当店は、下記日程を冬季休業とさせていただきます。
誠にご迷惑をおかけいたしますが、何卒宜しくお願いいたします。
<冬季休業期間>
2024年12月27日(金)~2025年1月6日(月)
※2024年最終出荷は12月26日(木)
※休業期間中にいただいたお問い合わせ・ご注文の出荷につきましては2025年1月7日(火)以降、順次ご対応とさせていただきます。
《溶岩石と真鍮鋳物のアロマ・ディフューザー》鋳銅 溶岩石楕円香器 | 銀雅堂
《溶岩石と真鍮鋳物のアロマ・ディフューザー》鋳銅 溶岩石楕円香器 | 銀雅堂
¥10,560
富山県、伝統工芸『高岡銅器』の街、高岡市に本社を置くものづくり総合メーカーである株式会社ナガエがリリースするインテリアライフスタイル雑貨ブランド「銀雅堂(ぎんがどう)」がリリースする溶岩石と真鍮鋳物のアロマ・ディフューザーです。
器は真鍮鋳物製。鋳物は溶けた金属を型に流し込んで固める製造技法です。
色はゴールド(生地バレル仕上げ)と、伝統着色技法による黒色着色
溶けた金属が流れた模様や凝固する速度などによる模様を鋳物の風合いとして、あえて残してあります。いずれのいずれの色においても鋳物の肌を感じることができるものとなっています。また、表面にごく小さな窪みがある場合がありますが、鋳物製法の特徴であり不良ではありません。
溶岩石の荒々しさと、鋳物の風合いをお楽しみください。
また、真鍮素材は経年変化(エイジング、枯れ)によって表面の酸化が進行し色見がくすんできて、これもまた、あじとして変化を楽しむことが出来ます。ゴールドは生地色仕上げですのでこの経年変化も楽しむことが出来ます。
一方で購入した時のままの色がお好きな場合はシルバージュエリーや仏具などのメンテナンスに使用されるウエスや研磨材で定期的に磨くことで光沢は戻ります。
伝統着色技法による黒色着色は、写真でも確認できますとおり真っ黒ではなく、ムラを残す色味なっており、このムラは鋳物の生地の状態によって個体差がでてきます。これもまた風合いとしてお楽しみください。
■使用方法
・本品の器に溶岩石を入れてください。
・溶岩石にお好みのエッセンシャルオイル(市販品)を数滴たらし、香りをお楽しみください。
■スペック
香器
サイズ:H40㎜×(楕円:L87㎜×W 60㎜)
材質:真鍮鋳物
重量:約300g
溶岩石※
重量:約80g
※溶岩石は自然物になりますので、色味や形、サイズにバラつきが生じます事をご了承ください。
■ラッピングについて
ラッピングをご希望のお客様は、商品ページ内の「ラッピング」より、ご希望のラッピングをお選びください。
ラッピングのイメージをご確認は、下記のURLをご確認ください。
【ラッピングイメージの確認】
https://www.a278.jp/categories/3072557
■使用上の注意
・本品を本来の用途以外で使用しないでください。
・ご使用の際に、エッセンシャルオイルが肌や家具、床等に直接触れないようにご注意下さい。(御使いのエッセンシャルオイルの注意点に準じます。)
・硬い物や鋭利なものを当てないで下さい。傷や破損の恐れがあります。
・お子様やペットの届かないところに保管してください。特に溶岩石はお子様が誤って飲み込まないようにご注意下さい。
■器のお手入れについて
・柔らかい布などで水拭き後、から拭きして水分を完全に取り除いて下さい。緑青(ろくしょう:銅の錆び)が発生する恐れがあります。(緑青は厚生労働省により「無害に等しい」と認定されています。)
・酸・アルカリ性の洗剤は使用しないで下さい。
・クレンザーや金属ブラシ、スチールウール等は使用しないでください。
■銀雅堂(ぎんがどう)ブランド説明
四百年の歴史を育んできた銅器産業の街「高岡」。
銀雅堂は高岡のものづくり総合メーカーである株式会社ナガエがリリースするインテリア・ライフスタイルブランドです。
この地から生み出される銀雅堂の品は、デザイナー、伝統工芸を受け継ぐ職人、そしてものづくりのプロフェッショナル達の手により丹精を込めてつくられています。
その確かな技能と技術が紡ぎ出すカタチを、日々の暮らしの中に添えていただければ幸いです
■高岡銅器とは
高岡銅器とは、富山県高岡の地で生産された鉄、銅、金、銀、錫、亜鉛、アルミニウム、その他の合金で作られた器物及び工芸品の総称であり、加賀藩二代藩主前田利長が高岡の地に城を築城し城下町を開町した2年後の慶長16年(1611年)、その城下町に産業を興すため日本鋳物発祥の地である河内(今の大阪府堺市・松原市の一部)の流れを汲む、越中国砺波郡西部金屋村(今の高岡市戸出西部金屋)の鋳物師(いもじ:鋳物職人のこと)を招いたのが始まりと言われています。
高岡銅器は当初、鍋釜・鍬鍬(すきくわ)などの鉄器の製造を行っていましたが、加賀藩の手厚い保護の元で発展、江戸後期頃には梵鐘や大型の灯篭、花瓶などの銅器製造も本格化し、いくつかのヒット商品を生み出しながら販路も全国に拡大していきました。
近代以降においては、先の大戦の戦時統制経済により金属材料不足となりますが、その苦境を乗り切り昭和50年(1975年)には国の伝統的工芸品産地に指定されるとともに、今日まで伝統を守りつつも時代に合わせたデザインや新しい製法の導入などを取り込みながら発展を続けています。